周亜楠 写真展「摩訶

THE 2ND BANSHAN PHOTOGRAPHY AWARD
菅沼比呂志 特別賞  HIROSHI SUGANUMA AWARD

2022年05月24日 – 06月05日 12:00-19:00 最終日17:00まで

これは、思いの託しと包容についてのお話しだ。

馴染みのある病院を通りかかったある日、私は誤って発掘現場に足を踏み入れた。摩訶池の北西の一角だったそうだ。すでに消え去ったが、摩訶池は昔、西湖と比べても見劣りはしなかった湖だったという。うちはずっと仏教を深く信仰しているため、この話に対して疑いもなく確信している。

その日以来、私はずっと摩訶池の文献や古籍を探していた。そして、幼い頃から親しみを感じている花蕊夫人は摩訶池とも深い関わりがあることがわかった。「親しみを感じている」というのは、恐らく彼女のロマンチックな伝説を聞きながら大きくなったためで、私の一方的な思いにすぎない。摩訶池の辺に住んでいた花蕊夫人は、一時身も心もこの湖に託されたように、彼女が作った詩や宮詞も常に摩訶池と関わっていた。

摩訶池とその心とのつながりに不思議に思える。大志を抱く昔の人々は、自分の志を天地と山水に託する。なのに、私にはそれほどの心の広がりがないと思う。私のこの弱さと志は、一体どこに託するのだろう。荒涼で実在したことのある過去か、それとも、喧噪中に見失われてしまった今この時に託してよいだろうか。絶対に賢いとも言わない方法だが、枯れた現実中にゆっくりと歩み続け、歴史の真相を探り、失われた信仰の起源を遡るしかないと思う。

いま、故郷はまた花蕊夫人の最愛の芙蓉が満開している。たぶん「でたらめ」には、偽りばかりではないと思う。より多く存在するのは我々の縺れと欲望だろう。我々は常に心の望みに直面せず、自分の愛憎や恐怖を覆い隠しているが、他人からの同感を期待しているからだ。 

唐代の廬求が書いた『成都記』には、「隋蜀王秀取土筑广此城﹐因为池。有胡僧见之曰:“摩诃宫毗罗”,盖摩诃为大宫﹐毗罗为龙﹐谓此池广大有龙﹐因名摩诃池」という記載がある。龍さえ自分の中に抱え込めるならば、摩訶池はきっと私のことも包容してくれるだろう。  

周亜楠
1997年、成都に生まれ、現在は東京で生活と勉強を送っています。第二回未来因子で30*30として入選されました。第八回の侯登科纪实撮影大会の賞に入られました。第二回の半山撮影大会で菅沼比吕志特別賞。アメリカコーヒーのことが好きです。