時間:6月2日-6月14日 12:00-18:00
最終日:12:00-17:00
家族が55年生活した家がなくなった。建物はまだあるが、もう帰る場所ではなくなった。
その一ヶ月後、家の前に立つと、なんだか自分が小さな虫のようになった感覚に襲われた。
1964年、父は奮起して家を建てた。ぼくは3歳。古くは寺の境内の一部だったかもしれない田が広がる地が売りに出た。縁あって土地を買うことができた。生前の母は、一刻を争うほど急な決断だったといつも言っていた。町内でわが家は二軒目だった。家の基礎が出来たとき、父は三歳のぼくを連れて、長い坂道を登ってわが家を目指した。途中、転んだぼくの膝から血が出た。父はハンカチを道沿いの小川に浸して拭った。長年、その坂道をぼくたち家族は毎日のように下り、登った。買い込んだ食料品を両手に抱え、母も毎日登った。スーパーのビニル袋がその細い腕に食い込んで、時にはうっ血していたこともある。
成人する頃から、ぼくは家と家の環境が嫌になった。東に見える山も川も田畑も何もかもが古臭く見えた。家を出たいと強く思ったが、勇気がなく決断ができなかった。
ぼくは家庭を持って実家を出た。39歳。帰省すると、実に都合のいいもので、野山が愛しく感じられた。母の作る土筆の卵和えがまた食べたくなった。クリスマスの夜、突然、母が逝ってしまってからは、家はさらに遠いものになった。時とともに、運動会を催すことができたほど、子どもたちであふれていた町も、犬の鳴き声すらしなくなった。ひっそりとした住宅地になった。たまに老人介護の車が来るくらいで、付近には病院も商店もなくなり、ただ家だけが立ち並ぶ静かな住宅地になった。それでも訪れた観光客は、風光明媚な土地柄を褒め、その静かさを賞賛する。
一軒家のいいところは、帰宅したときに灯りや音が玄関からこぼれてくるところだ。その日の家族の一日が想像できる。ぼくの最初の記憶は、真っ赤な夕陽が差し込んでくる部屋の椅子で、父が居眠りをしている後ろ姿だ。そして、ひんやりとした、でも暖かい家の空気だ。