時間:2021年4月13日 – 4月18日 12:00-19:00
最終日:12:00-17:00
1998年の夏、叔父は祖父母を連れて、祖父の北の故郷へ旅行に行った。いとこと私も一緒に連れられた。その旅行は祖父数十年ぶりの帰郷であり、私には初めての遠い旅であった。
画像に埋められた歴史が、感じるほど長くない。今の私たちは、限られた物質世界に対して無限なを記録方法を持っているが、1998年当時、世界はまだ広い、無限の世界に対して手に入れられる記録手段は限られており、希少で貴重です。叔父はその時流行りの家庭用ビデオカメラ一台を持っていて、この夏の旅をテープ一つに記録した。
実家に帰った後、家族みんな一回集まって、ワクワクしていてビデオを鑑賞した。そしてがっかりした。素人の叔父撮った映像は、カメラの動きが続けていて、ブレやボケの多いほか、「HAPPY HOLIDAYS」の文字が画面の真ん中に配置された。その叔父しか誰も読めない英語が、すべての画像に表示され、いくつかの瞬間に顔まで遮られた。
その後しばらくして、叔父家族が海外に移住し、テープは父に保管された。もう少し経って、ビデオカメラの流行りが終わって、そのテープの再生できる機材も見つからなくて、昨年ま眠っていた。
日本のビデオ工房でこのテープをエクスポートした後、私は再び、22年前の家族と自分を見た。あと見えてきたのは、ある青年、当時の若い叔父が、どうやってカメラの後ろで世界を見ている。彼はどんなシーンに惹かれていたのか、どのような瞬間は、彼が記念すべきと思って、ビデオで記録しようとしたのか、映像に映っている。
湖に浮かむボート、動物園のゲート。赤い壁、アーチ橋と石の獅子。柳、動物園の象。 そしてもちろん、家族の私達。でも私達の場合にはよく、遠くからトラックインか、不意のふりでパンニングして私達画面に入れるか。そうしないと、撮られっている人が恥ずかしくて避けるからだ。
そして、残念だった「HAPPY HOLIDAYS」が今見ると、幸いなことになった。スローガン、ビジョン、コメント、その言葉一体何かよくわからないんだけと、揺れ続けていたショットの中で最も安定している存在で、川に岩のように、落ち着かせた。今の私が読めるようになった、その言葉は、幸せな休日だ。
王 憶冰
1987年中国貴州省生まれ。
華南師範大学美術学院 大学・大学院卒業。
東京藝術大学先端芸術表現科目博士後期課程在学中。